第六十九夜:アラフォーの遅れてきた青春と中判カメラとの関係

中判カメラで写真を撮っているところ3月某日某所にて

被写体との向き合い方は人それぞれですし、撮影している時間や状況を楽しむのも、あくまでその人個人のモノだと思うんですよね。

例えば、音楽だとライブやフェスのその状況を楽しむ感覚はあくまで個人のモノだけど、アーティストがいて、オーディエンスがいて。だれかといっしょにいるってことも楽しむことができる。

でも写真だと、カメラを向けた先にいる被写体といっしょにいることも楽しんでるのかっていうと、私の場合、そういうわけではなくて。いや、そんな人はそもそもいないのかもしれませんが(苦笑)

ただただ写真を撮るのが気持ちいいんですよね。

見つけるつもりはないときに偶然に路地裏を見つけられたときとか、夕焼けがキレイで夢中になってシャッターを切ったりとか。

特別なにかをがんばっているわけじゃない、みんな偶然だったりタイミングがよかっただけで、そんな小さなひとつひとつのことに気持ちよさを感じて、自然と写真が撮れることにすごく感謝したりする。

以前、Hasselblad に関する記事で「人と向き合いたいから Hasselblad 使ってます」ってカッコつけてんじゃないよって書きましたが、やっぱり私にはまだその感覚はあまり理解できません。

あ、もちろんカッコつけて言っている人ばかりではないってことは分かってます。
そこは誤解なきよう。

「人と向き合う」って?

その人の何を知れば向き合ったことになるんでしょうか。

どのくらいの時間を一緒に過ごせば?どのくらい深い話しをすれば?

「写真と向き合う」って?

写真の何を知れば向き合ったことになるんでしょうか。

一体何枚撮れば?どのくらいカメラについて詳しくなれば?

こんなふうにどうにかなっちまった自分をどうしたもんだかたいへん悩んでいます。

アラフォーの遅れてきた青春はまだまだ続く(笑)